2016年08月16日

[資料]“連絡船(朝鮮引揚者消息雑誌)”

 きのう15日は,終戦記念日でした.KBS1TVでは,毎週月曜の夜に「우리말 겨루기」という韓国語をテーマにした視聴者参加型のクイズ番組を放送していますが,きのうはその代わりに,現在は川崎の桜本地区で暮らしている在日コリアン一世のハルモ二(おばあさん)たちを取材したドキュメンタリー番組を放送していました.

 終戦の混乱期は,多くの人が最低限の衣食住にも事欠く大変な状況を耐えていたようですが,何らかの事情で日本に渡り,終戦後も帰国できずに残ったハルモニたちの生活も,想像を絶する困難さを極めたようです.生活を支えるため働きづめで,中には文字を書けなかったため主に肉体労働をするしかなかったという方や,一時は住み込みで働いたこともあったとインタビューに答えたハルモニのそばにいた知り合いの別のハルモニが,そんな苦労話は初めて知ったと驚くようすなどが映し出されていました.

 逆に,朝鮮で終戦をむかえた日本人は,もう日本でなくなった地から引き揚げなければならなくなりました.そんな朝鮮から引き揚げてきた人たちの情報交換の場として,1947年に“連絡船”という雑誌が創刊されています.私がこの雑誌を見つけたのは,そのほとんどがネット上で公開されていて自由に閲覧できる東京経済大学の“桜井義之文庫”でした.

連絡船 朝鮮引揚者消息雑誌(東京経済大学 桜井義之文庫)

 “桜井義之文庫”の資料はすべてDjVu形式で公開されています.サイトにはDjVuファイルの閲覧用ソフトへのリンクがありますが,私は次のソフトを利用して閲覧しています.ネット検索すると,DjVu形式のファイルをPDF形式にネット上で変換してくれるサービスもありますので,それを利用するのも便利だと思います.

WinDjView Portable(PortableApps.com)

 “桜井義之文庫”で公開されている“連絡船”は,複数の号をひとつにまとめたもので,創刊翌年の1948年の年末に発行された号が最後です.ですので終戦後すでに2〜3年経っているのですが,その頃まだ帰国できずに朝鮮に留まっていた日本人もいたようです.雑誌名にもなっている連絡船に乗って日本に引き揚げるのですが,民間人には自分の引き揚げる順番がいつ回ってくるかも分からず,引き揚げの指示があるまでは現地で待機するしかありませんでした.

 また,今の朝鮮半島の北部にいた日本人には,工場を稼動させる技術者として高給を提示されて慰留され,現地に数年留まって社会主義国家の建設に貢献したとしてソ連から表彰されて帰国したという恵まれた環境にいた方もいれば,日ソ不可侵条約を破って満州に侵攻したソ連軍が,破竹の勢いでそのまま朝鮮北部にも入ってきたため,命からがらアメリカ軍政下の南側にのがれ,やっとの思いで帰国できたという方もいたようです.

 この雑誌には読者の投稿がたくさん掲載されていますが,中には朝鮮で生まれ育ったので,内地に行くのはこれが初めてという方の投稿もあります.35年間は日本の植民地でしたし,それ以前から日本の強い影響下にありましたので,親が日本から朝鮮に渡って定住していた場合,現地で生まれて終戦時にはとっくに成人していた,という内地を知らない日本人がいても不思議ではありません..

 戦争は1945年の8月15日に終わりましたが,それは同時に引き揚げの歴史の始まりでした.雑誌“連絡船” は当時の引揚者たちのようす垣間見ることができる大変貴重な資料と言えそうです.
posted by kajiritate webmaster at 22:06| Comment(0) | 日記